校長室だより

2025.03.04

高等学校 第60回 卒業式 校長式辞

 厳しい寒さと、やわらかな温かさを繰り返しながら季節は確実に春へと向かっています。
 今日こうして、ご来賓の方々、保護者の皆様をお迎えして、広島城北高等学校第六十回卒業式を挙行できますことは、卒業生、在校生、教職員にとって大きな喜びです。
 本日ご臨席をたまわりました皆様方には、日ごろから城北の教育に対して、温かいご支援をいただき、さらには巣立ちゆく六十回生の門出に華を添えていただきましたことに心から御礼申し上げます。

 60回生、237名のみなさん、卒業おめでとう。
卒業生の一人としてみなさんに考えてほしいことがあります。それは、城北で過ごした時間に「何を学んだか」ということです。
学校に通い、授業を受ける、部活に参加するという繰り返しの中にどんな意味を見出すのか、卒業を迎えた今この瞬間にその答えをだすことは難しいかもしれませんが、ここでいったん立ち止まって深呼吸して考えてみましょう。

 以前、先輩から聞いた話を紹介します。ギリシャ神話に登場するシシュフォスは、神々を欺く行為を繰り返したことで、ゼウスの怒りを買って、巨大な岩を山の頂上まで押し上げるという罰を受けます。しかし、シシュフォスが岩を押し上げて頂上に達する手前で、岩は再び転がり落ちてしまい、彼は永遠にこの作業を繰り返さなければならないというものです。

 岩を押し上げるという作業を永遠に繰り返すことになったシシュフォスですが、内田樹さんは、『日本辺境論』の中で「岩が麓まで転がり落ちていく時間に、シシュフォスは山を下りながら自分の置かれている状況について考えることができた。」と書いています。
私たちの日常に置き換えると、自身の置かれた状況について、現在の自分より少し高いところに立って、既成の価値観に縛られている自分を「俯瞰して」見ることと似ているように思います。

 数学の問題を解くために何時間も勉強しても思うように点が取れないことも、部活動で一生懸命練習しても試合で勝てないこともあります。
試験勉強や部活動の練習を通じて養ってきた忍耐力や集中力、問題解決能力などのスキルは、これからの長い人生のどこかで、形を変えて役立つことがあると思います。
 そしてそれは、同じ学校で過ごした仲間たちとの共有の財産だということに気づく場面に出くわします。それこそ城北健男児としての自分を俯瞰することができた瞬間だと思います。

 城北には城北独自の文化や伝統、プライド、スピリットがあります。体育祭や文化祭、修学旅行など様々な学校行事は、私たち全員が経験したものであり、それらを通じて身につけた価値観や習慣があります。私たちの行動や考え方を形作る無意識の習慣や傾向のことを〝ハビトゥス〟といいます。無意識レベルにまで習慣化された城北スピリットが身体の中に埋め込まれていることを、
この先の人生でみなさんも感じることがきっとあります。

 いつも冒険心をもって新しいことに挑戦し、自分の限界を試し、リスクをとりながら何回もやり直す。その繰り返しこそ、「学んで厭かず教えて倦まず」の校訓を体現した〝城北健男児〟としての生き方ではないでしょうか。

 最後に、ご参列の保護者の皆様方に一言御礼申し上げます。
入学以来、城北の教育にご理解とご協力をいただき誠にありがとうございました。身体の成長と心の変化が交錯して感情をうまくコントロールできないこともあった彼らにハラハラされたこともあるでしょうし、私共が至らない面も多々あったと存じますが、教職員一同、精一杯彼らと関わってきました。ご容赦いただきたいと存じます。
 本日、18歳の成人としてたくましく立派に成長した彼らの姿を見て、心から嬉しく思います。ご子息の卒業で、ご縁はいったん切れますが、今後とも城北の教育に関心を持ち続けていただけたらありがたく存じます。

 60回生のみなさんには今後、「あなたも城北か」でつながる縁が待っています。これからの人生を創造的に暴れてください。
みなさんの将来が希望に満ちたものであることを祈念し、式辞とします。

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